ロッテントマトがあてにならない映画の具体例

ターミネーター 洋画

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ロッテントマトの信憑性
アメリカの映画評論サイト「ロッテントマト」は、時にまったく当てにならない(大外れする)ことがあります。

その当てにならなかった映画の1つに、『ターミネーター:ニュー・フェイト』(原題 Terminator: Dark Fate)があります。

この「ターミネーター・ニューフェイト」、「ロッテントマト」では「評価はまぁまぁ良い」のですが(と言っても「RottenTomatoes2019年ベスト映画ランキング TOP10」に入るほどではありませんが)、前評判とは裏腹に、いざふたを開けてみれば、興行収入は大コケ、大赤字の大失敗に終わりました(ターミネーター・シリーズ史上、最大レベルの爆死)。

確かに映画の内容もひどく、ストーリーは矛盾そして破綻。映像も過去作品をコピペしたようなシーンばかりでオリジナリティは希薄、大コケは納得の作品でした。
ロッテントマトがあてにならない証拠
https://www.rottentomatoes.com/m/terminator_dark_fate 

一見、総合評価は良く見えるものの、フレッシュ・トマトとロッテン・トマト(腐ったトマト)の度合いをよく見ると、いまいち微妙な評価の「ターミネーター:ニュー・フェイト」。

ロッテントマトの評価と興行収益が相反した理由

なぜこんなひどい内容の映画なのに、ロッテントマトは比較的高いスコアになっていたのか? と 不思議に思い、調べてみると、そのズレが生じた原因に以下の3点が見えてきました。

  1. 評価者と実際の観客の年代のズレ【懐古】
  2. 本音と建て前は違う【見栄】
  3. ポリコレ作品は評価が高くなる(評価を高めなければいけない)風潮

1.評価者と実際の観客の年代のズレ【懐古】

ロッテントマトにわざわざレビューを投稿している層は、実際の観客よりも少し年齢層が高い傾向があります。そのため、往年のスターが久々にカムバックしたような懐古映画には、ロッテントマトでは「ご祝儀評価」が入り、社会の実情よりも評価が高くなる傾向があります。

例えば、「ターミネーター・ニューフェイト」ではリンダ・ハミルトンのカムバックがそれに当たります。

一方、実際の観客層は10代、20代の若い世代も多く、そこまで懐古への感慨が湧かないのが実情であり、そこでロッテントマトの評価と映画の興行成績や社会評価にギャップが生じることになります。

2.本音と建て前は違う【見栄】

  • 本音とは「映画館に足を運んだ一般の観客」の率直な感想、
  • 建て前とは「映画評論家やわざわざロッテントマトに投稿するようなレビュアー」の見栄
のことです。

観客は映画館に足を運んで、単純にストーリーなどがおもしろければ評価し、ヒットにつながっていきます。単純におもしろくなければ大コケします。観客は忖度なく本音で評価するわけです。

一方、評論家やレビュアーは、いわゆる「意識高い系」が多いせいか、自分の体裁を上げるような(いわゆる気取った)評価をしがちな傾向があります。

例えば、ポリコレ・ブーム全盛の昨今では、内容はともかく、映画の中のポリコレ部分は、是が非でも「ほめなければならない」、「ポリコレ褒めて初めて一人前」という風潮が感じられます。評論家によっては、ほめて「次の仕事に結び付けたい」との忖度も含まれることがあるでしょう。

※ポリコレとは、ポリティカル・コレクトネスのことです。

3.ポリコレ作品は評価が高くなる(評価を高めなければいけない)風潮

ロッテントマトの批評をざっと読んでみると、「ターミネーター・ニューフェイト」を評価している人は、この映画のポリコレ部分を評価しているレビューが多いです。

以下のサイトを見ても、実際、評論家がこの「ニューフェイト」に関して、「どういった評価文を書きたがるか」の典型例が見てとれます。

映画コメンテーター・有村昆が選ぶ、'10年代のSF映画3選
https://hominis.media/category/cultural/post6138/


この「映画コメンテーター」自身は、ロッテントマトのレビュアーではないとは思いますが、評論家によく見られる、典型的なポリコレ・アゲアゲの評価を確認することができます。

  • 『―ニュー・フェイト』ではキーになる人物は全員女性で、女戦士たちの物語になっています
  • さらに主人公はメキシコの労働者階級の若い女性。
  • 白人優位主義ではなくマイノリティも主役にしていこうという映画界の大きな流れを感じられて、とても良かった

というように、ストーリーなど映画そのものの内容の評価はほとんどなく、「女性が主役でたくさん出ている」「人種的マイノリティが主役」という、とにかくポリコレ要素をほめちぎるだけ。

ここに一般の観客と、評論家やロッテントマトに投稿するようなレビュアーとのギャップが生じています。

評論家やレビュアーは、自分の体裁や虚栄そして今後自分に入ってくるであろう仕事依頼への期待も込みでレビューを書きますが、観客(一般人)は単純に本音で作品を語ります。ポリコレ作品ではその違いが大きく生じる傾向があります。

実際、ロッテントマトでポリコレがらみでは、以下のような記事もありました。

米映画が批評サイトで0%の低評価となったのは黒人男性暴行死が原因?
「ロッテン・トマト」で酷評されている『ラストデイズ・オブ・アメリカン・クライム』

映画批評を集積・集計するサイト「ロッテン・トマト」で、批評家たちは、Netflixオリジナル作品の映画『ラストデイズ・オブ・アメリカン・クライム』に対して、満場一致で”最悪な映画”との評価を下したと米「Variety」が報じている。6月5日に配信が開始された本作は、ロッテン・トマトが集計した批評家たちによる評価「Tomatometer(トマトメーター)」で、まれに見る0%という最低スコアを叩き出している(6月12日現在)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0410bdfd0d477ebf88191e01e09891aeafa7d4f2
このように、ロッテントマトの評価には、「映画そのもののおもしろさ」よりも、最近ではポリコレ要素のほうが大きな影響を与えることが多くなってきており(いわゆる「ポリコレ加点」)、ポリコレ要素が強い映画では、ロッテントマトは当てにならないケースが増えてきているようです。

本来、大衆娯楽の映画ですから、一般の観客にとっては、女性がどうこう、マイノリティがどうこうよりも、まずは純粋に「映画そのものがおもしろいか?」が一番重要であるはずなのです。

しかし、現代では知らないうちに「表現の自由」は束縛されており、「ポリコレはほめなければならない」という強制的な風潮の下、映画が政治の具材と化してしまっているという、由々しき状況になっているのが残念でなりません。

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