ターミネーター2オリジナル版最後の公園(劇場版との違い)

ターミネーター ロケ地

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ターミネーター2もう1つのエンディング
映画『ターミネーター2(T2)』(原題: Terminator 2: Judgment Day)の「もう1つのエンディング(オリジナル版)」では、平和な未来の公園で、サラ・コナーはベンチに座りながら、大人になったジョン・コナーとその娘(サラコナーの孫)がブランコなどで遊んでいるのを眺めています。

その別のエンディングで登場した、未来の公園のシーンのロケ地はこちら。

T2もう一つのエンディングのロケ地

T2エンディング・オリジナル版

Film Location

  • Los Angeles County Arboretum & Botanical Gardens
    (ロサンゼルス郡立樹木園&植物園)
  • 301 North Baldwin Avenue in Aracadia, California U.S.A.
  • 座標:34.143450741435785, -118.05235774505067
  • https://www.arboretum.org/

東京ドーム3個分程の広さがある、Los Angeles County Arboretum & Botanical Gardens(ロサンゼルス郡立樹木園&植物園)のほぼ中央にある広場の噴水周辺がロケ地として使われていました。この植物園は、通常入園料15ドルで、毎月第三火曜日は無料になります(但し、要予約)。

T2のこのシーンの設定は、T2の出来事の延長線上にあり、このタイムラインでは1997年に起きると言われていた「審判の日」は発生せず、ジョン・コナーは40歳台。アメリカの上院議員になって、休日に娘と遊んでいる、ということで、設定上のこの公園の場所は、ロサンゼルスではなくワシントンDCということになっています。

そのため、この公園の噴水のはるか後方には、ワシントンDCの The US Capitol Building(アメリカ合衆国議会議事堂)がハメコミ合成されています。アメリカ合衆国議会議事堂といえば、「2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」が起きた場所です。
その周辺には、未来を演出するための架空の高層建造物が合成されていますが、実際のLos Angeles County Arboretum & Botanical Gardensの背後にはそのような風景は存在しません。

この別エンディングの見所・解説

この「もう1つのエンディング」(Alternate Ending)は、Original Ending(元々のエンディング・・・オリジナル版)とも言われており、最初はこの「もう1つのエンディング」がT2の本来のエンディングだったようです。それを最後の最後に、ジェームズ・キャメロンが、劇場公開版(暗闇の道路をサラコナーのナレーションが入る短いパターン・・・後述)のものに差し替えたようです。

「オリジナル版」でサラ・コナーが語ったこと

「ターミネーター1」のエンディング同様、この公園のシーンでも、サラ・コナーは自分のその時々のメッセージを録音する習慣を続けています。これは自分に何かあった時のために、メッセージを残してジョン・コナーら後世の役に立ててもらうためで、この録音(記録)習慣を続けていることから、2020年代になってもなおサラ・コナーはターミネーターの襲撃を警戒していることはうかがえます。

オリジナル版の公園でサラ・コナーが語った内容は以下の通り。
August 29, 1997, came and went. Nothing much happened. Michael Jackson turned 40. There was no Judgment Day. People went to work as they always do. Laughed, complained, watched TV, made love. I wanted to run to through the street yelling to grab them all and say, "Every day from this day on is a gift. Use it well." Instead, I got drunk. That was 30 years ago.
But the dark future which never came still exists for me. And it always will, like the traces of a dream.
John fights the way differently than it was foretold. Here, on the battlefield of the Senate his weapons are common sense and hope. The luxury of hope was given to me by the Terminator. Because if a machine can learn the value of human life, maybe we can too.
(審判の日が起きると言われた)1997年8月29日はたいしたことは何も起きずに過ぎ去った。マイケル・ジャクソンは40歳になった(←8/29が誕生日)。審判の日は起こらなかった。人々はいつも通り仕事に行き、笑い、愚痴を言い、TVを見て、愛し合った。私は通りに出て、そんな人々をつかんで叫びたかった。「今日この日から毎日が贈り物なのよ!大切に使って!」と。そうする代わりに私は飲み明かした。それは30年前だった。
でも私にとって、まだ来ぬ暗黒の未来は夢の痕跡のように存在し続けている。
ジョンは予言されていたのとは違う方法で戦っている。ここでは彼の戦場は上院議会であり、彼の武器は分別と希望だ。
ターミネーターによって、希望というぜいたくが私にもたらされた。なぜならもしマシーンが人間の価値を理解できるのであれば、我々人間もそれができるはずだからだ。

このシーンを2029年と説明してあるサイトが多いですが、サラコナーのセリフに「(1997年が)30年前」と言っていることから、正確には、この「もう1つのエンディング」のシーンは2027年という設定なのかもしれません。

劇場公開版とオリジナル版とのエンディングの違い

先述のように、劇場公開版のT2のエンディングは、暗闇の中、車のヘッドライトに照らし出される道路を映しながら、以下のようなサラ・コナーのナレーションが入って短めに終わります。
The unknown future rolls toward us. I face it for the first time with a sense of hope, because if a machine, a Terminator, can learn the value of human life, maybe we can too.
未知の未来が我々の前方に転がっている。私は初めてそれに対して希望を持って向き合っている。なぜなら、もしマシーンが、ターミネーターが人命の価値を学ぶことができるのであれば、我々人間もできるはずだからだ。

劇場公開版もオリジナル版も、言わんとする主旨は同じですが、オリジナル版のほうが未来を確定し過ぎており観客の想像が入る余地がなく(幸せ過ぎる未来の押しつけ)、劇場公開版のほうは確定した未来の映像や物語は無く広がりを持たせている(観客の想像に委ねている)という決定的な違いがあります。

「ニューフェイト」失敗原因ここにあり

このT2のエンディングの違いに、「ターミネーター・ニューフェイト(Terminator Dark Fate)」が大失敗に終わった原因の1つをうかがい知ることができます。

結論を先に書くと、「ニューフェイト」はこのT2ではボツになったオリジナル版と同じこと(内容的には真逆のこと)・・・つまり「偏った確定未来の押しつけ」をやってしまったのが失敗の原因の1つです。

T2のオリジナル版では、未来を人類側の勝利(人類側のハッピーエンド)に偏った描き方をしていました。あまりにも幸せ過ぎるサラとジョンと孫の姿に、観客はしらけさえするかもしれません。これでは「マシーンに希望を見出した」と言われても「マシーンは悪、勧善懲悪してやった」のイメージのほうが強くなるので、説得力がありません。このオリジナル版のままだと、T2はこれほど大ヒットはしなかったでしょう。

一方、T2劇場版では、そうした確定未来の映像の押しつけを一切削除し、「未来はどうなるか分からないが(No Fate)、人類にもマシーン側にも希望がある」という形にし、どっちが勝った負けた?善か悪か?に終始するのではなく、両者に花を持たせるような形で終わらせています。これによって、

I know now why you cry, but it is something I can never do.
「人間がなぜ泣くのかが分かった。しかしそれは私にはできないことだ。

と言い残し、溶鉱炉に散っていったT-800の自己犠牲が生きてきます。

また、T1~T2に貫かれた"No fate but what we make."(運命は定まっていない。自ら切り開くもの。)というテーマとも一貫性が保たれ、収まりもよくなりました。

製作者による確定未来の押しつけもなくなり、観客の想像力を刺激し、余韻も残ったことが大ヒットにつながり、T2が「名作」と言われる由縁にもなった点と言えます。

「ニューフェイト」ではこのT2のオリジナル版(幸せ過ぎる未来)と真逆のことが起こり、「不幸すぎる」未来を確定的に描き過ぎた(観客への押しつけが激しい)わりには、ただの焼き直しのようなシーンばかりだったことが「ニューフェイト」の大コケ・大失敗につながったと言えます。

監督の違い

ニューフェイトの監督ティム・ミラーによると、
ジム(ジェームズ・キャメロン)は“人類が負けることのどこがドラマチックなのか”と。僕に言わせれば“人類が勝利することのどこがドラマチックなのか、なぜ勝ち続けなければいけないのか”という感じですけどね。
https://theriver.jp/new-fate-creative-difference-2/

とのことで、人類vs機械 が「勝った/負けた」(勝ち負け)に終始している時点であまりに世界観が狭すぎます。「ニューフェイト」がコケることはティム・ミラー監督がこの価値観で、このストーリーを選んだ段階で確定していたのでしょう。ティム・ミラー監督の監督経験の浅さ、ご趣味の悪さ(デッドプールにも見られる人間への屈折感)が招いた結果と言えます。

ジェームズ・キャメロンは、T1,T2ともに「もう1つのエンディング」の採用を避け、いずれも「未来を特定/確定しすぎること」を避けていました。にもかかわらず「ニューフェイト」では確定させすぎてしまった(キャメロンは監督ではなかったので制御できなかった)ことがニューフェイトの敗因です。

T2の主旨とニューフェイトとの矛盾

この「もう1つのエンディング」を撮っていることからも、ジェームズ・キャメロンのT2の本意(全体的な方向性や主旨)がどこにあったのか?も分かります。このT2オリジナルエンディング版は、完全に『ターミネーター:ニュー・フェイト』(Terminator: Dark Fate)と矛盾しており、ニューフェイトはジェームズ・キャメロンの本意とはかけ離れたデキになってしまったことが明白です。ニューフェイトはやはり「蛇足」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の失敗作品だったと断定できます。

T1,T2の立役者はゲイル・アン・ハード

上記「ニューフェイトの失敗」にも関連しますが、T1,T2の成功の真の立役者は、ジェームズ・キャメロンではなく、Gale Anne Hurd(ゲイル・アン・ハード)だったのでは?と思えてきます。

ゲイル・アン・ハードはT1とT2の共同脚本執筆者でもあり、ターミネーター【2019年問題】(脚本家の35年ルール)にて、2019年10月以降、ターミネーターの商標権利を保有している権利者です。

ゲイル・アン・ハードは、T1,T2以外には関わっていません。原作者(キャラクター創造)として名前がクレジットされているだけです。

監督ではなかったものの、ジェームズ・キャメロンが関わって大失敗した「ターミネーター・ニューフェイト」という事実からも、実はT1、T2大成功の立役者は(J.キャメロンではなく)ゲイル・アン・ハードだったのではないか?と思える次第です。

「ジェニシス」「ニューフェイト」を作ったスカイダンス社から2019年10月以降、権利がゲイル・アン・ハードに移ったので、スカイダンス社もこれまでのようなノリで作品は作れなくなりました。つまり、妙に媚び中した駄作ターミネーター作品増産の危機的状況はひとまず脱したと言えます。→詳細:ターミネーター映画大失敗の致命的な原因

ターミネーター作品に深い思い入れがあり、権利者となったゲイル・アン・ハードが、今後ターミネーター作品にどのように影響を与えるのか(どう改善させるか?それとも封印するのか?)は注目ポイントです。

未来のジョンコナーに一番似ているのは?

このT2のオリジナル版エンディングでジョン・コナーを演じたのはMichael Edwards(マイケル・エドワーズ)1944年11月24日生まれ。T2劇場公開版の中でも、未来の戦場で人類抵抵抗軍のリーダーとして、戦況を眺めるシーンで登場します。この戦場シーンでは顔に傷があるのが特徴です。

ターミネーター作品によって演じる俳優が異なるジョン・コナーですが、このT2未来のシーンのジョン・コナーに一番、外見もイメージも似ているのは、『ターミネーター4』(原題: Terminator Salvation)のChristian Bale(クリスチャン・ベール)かもしれません。

靴紐コミュニケーション

このT2オリジナル版 未来の公園のシーンでは、録音しているサラ・コナーの元に、ジョンの娘(サラの孫)が「おばあちゃん」であるサラコナーの元に駆け寄って、
Granddaughter(John's daughter) :Tie me, Grandma. Tie me!
Sarah Connor : How's that?
Granddaughter(John's daughter) : Thank you, Grandma.

とほどけた靴紐をサラコナーに結んでもらうシーンもあります。

「ターミネーター・サラ・コナー・クロニクルズ」でも「ジョン・コナーがサバンナの靴紐を結んであげる」という似たようなシーンがあり(→参考:サバンナ・ウィーバーを救出後かくまった倉庫)、この「靴紐コミュニケーション」は、T2オリジナル版の靴紐のシーンのオマージュだったのかもしれません。

誰もスマホを持っていない(うつ向いていない)

この未来の公園のシーンがとても明るく見える要因の1つに、誰もスマホを持っていない(下を向いていない)、人々はその場のことに集中して「今この場所でこの瞬間にしかできないこと」を精一杯楽しんでいる、という点が挙げられます。

一方、現代の街角の風景を除いてみると、人々はみんな歩きスマホ・ながらスマホで下を向き、「心ここにあらず」でとても暗く見えます。中には(踏切内立ち止まり事故など)歩きスマホで命を落としてしまう人もいます。ターミネーターで描かれたのとは違う形で、人間はマシーンに翻弄されつつあるようにも見えます。

実際、「ターミネーター・サラ・コナー・クロニクルズ」では、携帯電話を使って人間に指示を出して操るAI(スカイネット)が登場します。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の未来(2015年)でも誰もスマホを持っておらず、このT2もしかり、1990年前後の映画製作者にとって、未来のインターネットの世界、スマホが席巻する世界は想像することができなかったようです。映画を通して過去の人々の想像力を超えた世界になっていることがわかるのは、おもしろい点でもあります。

9.11からワン・ワールド・トレード・センターまで予言?

幸せそうな未来を描いているこのシーンですが、よく見ると、未来のシーンの左側後方に映っているガラス張りの高層ビルが、9.11のワールドトレードセンターの跡地に建てられたワン・ワールド・トレード・センター(フリーダム・タワー)を彷彿させるものがあります。

T2においては、用水路でT-1000が運転するトラックのクラッシュシーンで、「CAUTION 9'11"」(9フィート11インチ=約3m の高さ制限)と橋桁に表示されているのが、「9.11に注意せよ」と読めることで、9.11のテロを予言していたのでは?と話題になりました。

この未来のシーンも踏まえると、T2は9.11のテロのあと、未来においてワン・ワールド・トレード・センター(フリーダム・タワー)ができるところまで予言していたのでは?と陰謀論が大好きな人たちは語り出すのかもしれません。

# Terminator2 alternative ending 未公開シーン

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