サラ・コナーの疑問点(ターミネーター:ニュー・フェイト)

ターミネーター

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サラコナーの疑問点
映画「ターミネーター:ニュー・フェイト」の売りの1つは、リンダ・ハミルトンがサラ・コナー役に復帰したことでした。

しかし、せっかくリンダ・ハミルトンが復帰したにも関わらず、空回りするばかりで、サラコナーというキャラクターをうまく活かしきれていないどころか、結局、いてもいなくてもどうでもいい存在にまで成り下がってしまいました。そのことがこの「ニューフェイト」が大コケし、大失敗に終わった原因の1つとして挙げられます。

その失敗を招いた原因は、「ターミネーター:ニュー・フェイト」の監督はティム・ミラーであり、ジェームズ・キャメロンでは無かった(ジェームズ・キャメロンは、撮影現場は完全にノータッチだった)、という点です。

現場レベルでリンダ・ハミルトンと綿密な打ち合わせをし、きめ細かい演技指導をおこなうことで、あのサラコナーというキャラクターが創造されるのですが、現場で演出・演技を指示するのがジェームズ・キャメロンではなく、まったくジェームズ・キャメロン色とはかけ離れてしまっていたことが、「残念なサラコナー」という結果を招いてしまいました。

同じキャラクターでも、監督が違うとこうも落差があるのか・・・という悪しき典型例でした。

監督の人選ミスがそもそもの失敗の始まりだったと言えます。
→詳細:作る前から失敗していた「ターミネーター・ニューフェイト」

その「ターミネーター:ニュー・フェイト」のサラ・コナーの疑問点をまとめました。

疑問1:サーブ スーパーショーティ?

まず、メキシコの道路上で、颯爽とサラコナーが現れ、バズーカ砲などを撃つシーン。確かに一瞬、「おっ!」と、かっこよく見えます。

しかしその次のシーンでは、「はっ?」という疑問符に変わりました。

3発しか入らないショットガン

なんと、最大でも3発しか装弾できないショットガン「Serbu Super Shorty」(サーブ スーパーショーティ)を持って、ターミネーター(Rev-9)に近寄っていきます。
サラコナーの銃
ターミネーター相手にまったく説得力が欠けるシーンです。

おそらく女性には小さな銃が「映える」ということで、ティム・ミラー監督の趣味で、小さなショットガン(Serbu Super Shorty)をサラコナーに持たせたものと思われます。「ニューフェイト」の映画のポスターも「サーブ スーパーショーティ」前面押しで、とにかくイメージ優先であることがうかがえます。

この映画、ポスターからして失敗しています。

もしジェームズ・キャメロンが監督していたら、絶対にそんなチョイスは無かったでしょう。もっとリアリティのある演出、そして癖のある重火器を使用していたはずです。

T-800を横倒しするのに5発

ちなみに、「ターミネーター1」でのクラブ・テクノワール(Tech-noir)のシーンでは、カイル・リース(マイケル・ビーン)がT-800(アーノルド・シュワルツェネッガー)をショットガン(イサカ/Ithaca 37)で横倒しにするだけでも、1回目は5発、2回目も5発、要しています。

サラ・コナーはそのシーンを目の前で目撃しているので、3発ごときでは、ターミネーターに太刀打ちできないことぐらい、十分に理解しているはずです。

T-1000を「サラコナー撃ち」で端に追いやるだけでも7発

さらに、T2におけるクライマックスの工場内での、あの有名な「サラ・コナー撃ち」のシーンでは、サラコナーが液体金属T-1000を端に追いやるだけでもショットガン(Remington 870/レミントンM870)で7発、要しており、結局、残弾数の不足で死を覚悟することになりました。

サラ・コナー自身がこうした苦い経験をしているにも関わらず、重要なシーンで3発しか入らない「サーブ スーパーショーティ」を持ち歩くというのは、まったく「正統な続編」を語るにはふさわしくないミス演出でした。

こうした一つひとつの小さなミスチョイスの積み重ねが、ファンの失望を招き、「ニューフェイト」の大きな失敗につながっていったと言えます。

疑問2:アゴしゃくれ過ぎの過剰演出

これも上のメキシコでの道路シーンでのことですが、サラ・コナーが終始、アゴしゃくれのドヤ顔過ぎ、というのが興ざめです。

本当に戦士なら、銃を撃つときくらい、「ターミネーター2」(T2)の時のように、しっかりとアゴを引いて腰を入れて撃つはずなのですが、このシーンでのサラコナーは、終始アゴを上げ過ぎで、「なってない」状態です。

初めて直面するタイプのターミネーター(Rev-9)に対して、この姿勢は「ない」でしょう。

ジェームズ・キャメロンが現場でカメラをまわしていたら、絶対にこんな演技指導はせず、もっと説得力がある所作になっていたはずですが、残念ながら、この「ニューフェイト」という映画の監督はティム・ミラー。ティム・ミラーという監督経験の浅い、「デッドプール」のような悪趣味な過剰演出が出てしまったシーンです。

これにより、観る人が見れば、サラコナーの説得力は失われ(T2との落差が大きく)、しらけてしまいます。

ポスター同様、「かっこよさ」優先で「実」がこの映画にはまったくありません。

疑問3:無警戒すぎるサラ・コナー

「ターミネーター・ニューフェイト」で一番、問題となっているジョン・コナーのシーンですが、このシーンでのサラ・コナーの無警戒すぎる演出にも疑問符が付きます。

入口に背を向けて、ボーっとするか?

1998年の南米・グアテマラのビーチでのシーン、サラ・コナーは人の出入りが多い店の開けた入口に、完全に背を向けて、しかもボーっとしており無警戒すぎます。

仮にボーっとするにしても、入口に背を向ける位置には座らないはずです。出入口に目を向けていたら、「馬鹿の一つ覚え」みたいにシュワちゃん顔のターミネーターがまたしても接近して来ているわけなので、ボーッとしていても、すぐに気が付き、何かしら対処できたはずです。

1984年と1994年に、2回もターミネーターに襲われ、しかも現状も銃を携帯しており、警戒状態であることはうかがえるのに、この演出は「はたしてありか?」と言わざるを得ません。T2のように、エンリケの敷地内で、かつ他に監視者がいる場所でボーっとするならともかく、不特定多数が出入りしているビーチで、そこまで無警戒になれるのが信じられません。

わずか4年前のT2のサラコナーはどこへやら?

T2で収監されていたPescadero State Hospital(ペスカデロ警察病院)から脱走する際の、
  • 誰にもわからぬよう瞬時にクリップを卓上でくすねる
  • 鍵を投げて目くらませして警棒で殴る
  • 瞬時に状況判断し、洗剤を注射器に入れ、シルバーマン博士を身代わりにする
  • 鉄格子の鍵を折って鍵を開けさせないようにする
などのジェイソン・ボーン並みのキレキレの機転、寸分の無駄がない所作からは、到底 信じがたいニューフェイトのサラコナーの姿です。このビーチのシーンは、T2から4年しか経過していないにも関わらず、サラコナーの落差が大きすぎます。

そもそもジョン・コナー1人を守れなかった人物を、その後いかに強く描こうとしても、説得力がありません。

ジェームズ・キャメロンが監督していたら、もっと納得のいくサラ・コナーのキャラクター造成がなされていたはずですが、残念ながら監督はティム・ミラーということで、稚拙で説得力のないサラコナーが描かれてしまいました。

このキャラクター造形の粗末さ(キャラクター価値の喪失)も、「ターミネーター・ニューフェイト」が大コケに終わった要因の1つと言えるでしょう。

疑問4:サラ・コナー到着の矛盾

グレースがタイムトラベルでメキシコの道路に到着時に、道路でグレースを引きかけたのがサラ・コナーの車。(ティム・ミラー監督もこの点を認めています。)

ここが矛盾です。

  1. T-800カールは、タイムトラベル到着時の携帯電話の磁場の乱れを感知することで、
  2. サラコナーに座標を「ジョンのために」という言葉とともにメールで知らせ、
  3. サラコナーはその座標を元に、ターミネーター退治に向かう

つまり、タイムトラベルのエネジーバブル(球体)が発生する時(タイムトラベルが到着する瞬間)でないと磁場の乱れを検知できないのに、なぜサラコナーは到着前からグレースの到着地点に来れているのか?

この道路の脇にでもサラコナーは住んでいたのか?(道路わきに住んでいたとしても、メール着→準備→現場へ向かう・・・だけでも数分はかかるはず。)

疑問と矛盾だらけです。

この『ターミネーター:ニュー・フェイト』は、グレースのお腹の入れ墨(カールの座標)やRev-9のおしゃべりなど、無意味・無駄な描写が多く、さらなる矛盾と失敗を引き起こしています。

疑問5:越境は難しいはずなのに・・・

これは前述の「サラ・コナー到着の矛盾」と関係しますが、劇中、メキシコとアメリカの国境を越えることがとても難しいとの描写があり、サラ・コナーの以下のようなセリフもあります。

You want to cross the Mexican border with an undocumented Mexican national and a woman who had her own episode of America's Most Wanted?
全米指名手配の女と一緒にメキシコ国籍の密入国者を越境させる気?

そして国境警備隊はさも「悪」かのごとく何人も撃つという反トランプの「不法移民万歳!」のポリコレ描写のあと、実際、サラ・コナーらは収監されます。

しかし、サイバーダイン社が破壊される前に何体ものバックアップ・ターミネーターを送られたということなので、それらはすべてT-1000らと同様に、当時サラ・コナーらがいたアメリカ・ロサンゼルスにタイムトラベルで到着するはずです。

そのロサンゼルスに到着した何体ものターミネーターを、メキシコか中南米にいるサラ・コナーが、T-800カールからメールを受け取って、その都度、瞬時にロサンゼルスまで越境して、倒していたのでしょうか?

さらにはアメリカ側からメキシコへ越境するのはそんなに簡単だったのでしょうか?

完全に矛盾しています。

疑問6:一体、どのターミネーターを倒したの?

これも『ターミネーター:ニュー・フェイト』の矛盾点の1つですが、サイバーダイン社爆破でスカイネットが存在していたタイムラインは消滅。T-800カール以降はスカイネットからはこのタイムラインにはもう送ることはできないはずなのに、その後もサラ・コナーは「新たにタイムトラベルで到着したターミネーターを何体も倒した」とのこと。

一体、どのターミネーターを倒したのでしょうか?

タイムパラドックスの矛盾が生じています。

これについては長くなるので、こちらターミネーター:ニュー・フェイトの矛盾(タイムパラドックス編)にまとめてあります。

疑問7:味方を消してしまった可能性も

T-800カールからの一方的かつ部分的すぎる情報に基づいて、サラ・コナーはタイムトラベルでやってくるモノを次々と片づけたことになっていますが、人類側の味方も消してしまった可能性があります。

カールはタイムトラベルを検知しただけで、やってくるモノ(者・物)の内情までは知りません。それを知らないにもかかわらず、サラ・コナーに片づけさせる、というのはかなりヒドイ話です。

実際、これまでもタイムトラベルでは、サラ・コナーを救いにカイル・リースが、ジョン・コナーを救いに再プログラムされたT-800・・・など人類側(サラ側)の味方もやってきてます。到着早々、サラが片づけた場合、こうした人類側の味方も片づけてしまった可能性があり、かなりひどい話に「ニューフェイト」は仕上がっています。

疑問8:ヒューマニズムの薄っぺらさ

上述「無警戒すぎるサラ・コナー」のシーンもそうですが、この「ニューフェイト」では、いまいちジョン・コナーとサラの母子の関係性があっさりしすぎて薄いです。サラコナーが「ジョンの顔を思い出せない。」という理解不能なセリフさえあります。

普通、親は亡くなった我が子の顔を忘れないですし、写真がなかったら無かったでむしろ美化して鮮明に覚えているものです。

この「ニューフェイト」の淡泊なサラとジョン親子の描き方だと、いくらT-800が「ジョンのために」と言ったところで、サラコナーのニューフェイトでの行動原理に説得力がなく、観客も感情移入ができませんし、しらけるだけです。

この「ニューフェイト」のサラ・コナーからは「愛」がまったく感じられません。本当に子育てを少しでも経験したのでしょうか?「怒り」の根底になるはずの「愛」がまったく感じられないのです。この作品全編通じて、全キャラクターに、しらーっとした冷たい雰囲気が漂っています。

ヒューマニズムの描き方が薄いと、ダニーとグレースの関係性も薄っぺらいものになります。また、相対するマシーン側の恐怖も薄れて淡泊になってしまいます。結果として、Rev-9の存在感が薄くなり、「結局、T-1000の二番煎じ?」的な、いまいち観客の記憶に刻まれない弱い存在として片付けられてしまうことになりました。

新米監督の下手な演出・悪趣味な設定に、せっかくのキャラクターたちが台無しにされた感が否めません。

根幹部分がガタガタ

ジェームズ・キャメロンは、
ジムは、『人類が負けることのどこがドラマチックなんだ?』と言った。
https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20191127-00152578/
とのことで、もっとヒューマニズム的なものを劇的に描きたいイメージだったようですが、この「ニューフェイト」のティム・ミラー監督は、
映画の1作目と2作目では、人類が勝った。それで、今作では逆にしたらどうかと僕は提案したんだ。僕は『人類が勝つことのどこがドラマチックなんですか?』と反論した

ということで、この作品の根幹部分がガタガタだったことがうかがえます。

そもそも監督が、「人類側が勝った/負けた」という短絡的な部分に終始している時点で、この「ニューフェイト」の失敗は確定していたのでしょう。

T2が大ヒットした要因は、「どっちが勝った」というよりも、「マシーン側にも可能性はある(必ずしもマシーンは常に悪/敵とは限らない)。人間の使い方次第。そして未来はわからない。」(No Fate but what we make)と、両者に花を持たせるような絶妙なバランス構成がなされていた点が挙げられます。

初期の脚本はもっと酷かった

Hamilton found herself with new script pages that pitted Sarah and Grace, an augmented human from the future, against one another, in boring catfight style.
“They had written some rather very predictable conflict between Grace and Sarah, or just them sniping at each other,” Hamilton reveals.
https://www.syfy.com/syfywire/linda-hamilton-reconnects-with-sarah-connor-after-all-these-years

の記事によると、「ニューフェイト」の初期の脚本では、サラコナーとグレースの退屈なキャットファイトが延々と続くような感じだったということで、品の無い会話が延々と続く「デッドブール」のティムミラー監督ならではの、悪趣味な作品になりかけていたとのこと。それをリンダ・ハミルトンがだいぶ修正していったことがうかがえます。
しかし、それでもティム・ミラー作品ならではの不要な会話が随所に残っており、そのことが(ジェームズキャメロン作品とはかけ離れた)ニューファイトのガッカリ感を醸し出しています。

もうサラコナーを演じることはないだろう(リンダ・ハミルトン)

世間的な「ターミネーター:ニュー・フェイト」(Terminator Dark Fate)の評価も散々だったことから、
リンダは続編製作の可能性があっても、サラ・コナーの再演は「Noだわ」とThe Hollywood Reporterにコメント。
「今後(サラ・コナーとして)戻らないことが幸せなのかもしれない。(役を)終えたいと思っているし、期待はしてないの」と卒業を示唆した。
https://www.cinematoday.jp/news/N0113797

とのことで、興行的にも大失敗に終わったこともふまえ、事実上、この「ニュー・フェイト」の延長線上での続編は中止(破綻)ということになります。
→関連記事:ターミネーター:ニュー・フェイト続編中止の理由

ジェームズ・キャメロンが本当に作りたいと願い、監督していたら、こんなことにならなかったはずですが、当のジェームズ・キャメロンは、かねてから宣言しているように、やはり「ターミネーターは2で完結した。」というのが本心なのでしょう。
→詳細:T2で完結,スープに小便【ジェームズ・キャメロン語録】

いてもいなくてもどうでもいい存在に成り下がったサラコナーを露呈してしまった「ターミネーター:ニュー・フェイト」は、後悔のみ残る、作らなかったほうがよかった「蛇足」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の痛恨の1作と言えます。

この「ターミネーター・ニューフェイト」のサラ・コナーからは、「愛」を感じることはありませんでした。

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